(ヤマトシジミ)前回は2月7日です。
(カイワリ)今日はお約束どおり早速本題に入ってよろしいわよ。
(ヤマトシジミ)約束を守っていただけるとは思いませんでした。
(カイワリ)そんな風にいうなんて。なんならいつもどおりにやる?
(ヤマトシジミ)これは失言でした。これ以上機嫌を損ねないうちに本題に入りましょう。
今日は食品添加物に関連して日本酒の添加物、醸造アルコールと純米酒についてです。
(カイワリ)今日は私には話させてくれないんでしょ。どんどん進めたら。
(ヤマトシジミ)そんなことはないですよ。どんどん絡んできてくださいね。
(ああ、MAXめんどくせ−)
(カイワリ)思っていることが顔に出てるわよ。
(ヤマトシジミ)どきっ!!
さて、nextさんがご指摘くださった日本酒におけるアルコール添加についてです。
その議論の前に、調べてみたところ日本酒に添加されている醸造アルコールは廃糖蜜由来のものは現在では少数派のようです。
といっても三倍増醸清酒もあるので無いとはいいませんが、当ブログで対象としているような酒蔵では大半が自前などでの米焼酎(甲類)を添加しているのが主流のようです。
日本酒はもともとお米で作られており、無添加のものは純米酒と呼称されています。当然というか、我が家は無添加派、純米酒派ではあるので好みはこちらです。
ところがそれだけで話が終わりかというとそうでもないのです。
(カイワリ)日本酒の特定名称酒(純米酒、本醸造酒、吟醸酒など)はそれなりに相応の値段がするのだから、無添加な純米酒が最低ラインと考えるのはありなんじゃないの?
それにこれまでの添加物の議論からすれば純米酒以外はダメという主張の方がしっくりくるわ。
(ヤマトシジミ)それは確かにそうです。
そういう点ではこれまでの添加物議論がまだまだ説明不足、掘り下げ不足だったかもしれません。
添加物に関して、突き詰めていくと保存料や化学調味料(甘味料やアミノ酸など)に限らず、食品に添加したものは全て添加物であり、「無添加」という表示自体が本当は「不正確な表記なのだ」という話を聞いたことがあります。
これは加工食品の研究者の知り合いの弁です。
(カイワリ)我が家で楽しむ“料理”に野菜蒸しがあるものね。
何も味をつけずに、つまり塩さえも添加せずに大根やニンジンなどを蒸してそのまま食べるだけのもの。
昆布やかつおなどのだしも当然いれません。これが本当の無添加なのよね。
大根をすりおろすだけでもいいんだけど。
今年は我が家の畑作がダメなので、買ってきた野菜でやってみると何かが足りず、何かが余分な感じがするのよね。
まずはここが出発点ということでいいわね。
(ヤマトシジミ)いい例示ですね。
そこで今度は料理として必要な調味料、だしなどを加える。
この際に、本来の自然由来のものを代替物である食品添加物(≒化学調味料)をいれたり、製品化し日持ちを良くしたりするために保存料をいれたり、となってきた場合、いわゆる「無添加」ではなくなってくるということになりますね。
そうした点ではラーメンのことで以前触れたことがありますが、ラーメンの無化学調味料のものは追っている味が「化学調味料入り」の味であったりもするので「???」という疑問を提示したこともあります。
(カイワリ)あらでも最近はあっさり系のラーメンが流行しているらしいわよ。
そういう点ではその指摘自体が間違いじゃない?
(ヤマトシジミ)こってり系に対するアンチテーゼとして、あるいは独自性の提示ゆえのあっさり系の流行ともいえるので、そのあたりは何とも言えませんね。
さて本題に戻してそういう点から考えて日本酒のアルコール添加は是か非かということを考えてみたいと思うのです。
(カイワリ)当然、昔ながらということを考えれば非ということでおしまい、じゃない?
(ヤマトシジミ)実はそうではないのです。
江戸時代の時点ですでに機能性の点で添加されていたというのです。
丸河屋酒店から喜び一杯 から引用(「>」が引用箇所)
↑とても勉強になるブログですのでぜひご覧ください。
>アルコール添加については江戸時代から柱焼酎の添加として始まっています。
>江戸時代には冷蔵設備がなく、アルコール度の小さなお酒は雑菌などに
>やられてしまいます。お酒がお酒とは思えない液体に変化してしまいます。
>このために江戸時代に伝わり、造れるようになった焼酎(本格焼酎)を
>出来た日本酒に混ぜて保存していました。
>江戸時代のアルコール添加は腐敗防止剤の役目をする食品添加物でありました。
さて、この場合、添加されているのが本来の姿なのか、それとも添加されていないのが本来の姿なのか、迷ってしまいますね。
(カイワリ)そうね。そういうことなら、醸造アルコールの添加はぎりぎり本来の姿といえるから、添加されている方がいいということ?
(ヤマトシジミ)いえ、そういう単純な結論でもありません。
純米酒は原点の姿でもあり、また進化した姿でもあるということ、またアルコールを適量(≒微量)添加したお酒は、歴史的に見れば本来の姿でもあり、また日本酒のあり方として重要な立ち位置をもった姿でもあるということなのです。
(カイワリ)なんだかやっぱり難しくなってきたわね。
(ヤマトシジミ)日本酒が進化、変化しているなかで、それぞれにメリットとデメリットがあるということなのです。
純米酒は日本酒本来の、というよりもお米が持つ不思議とも言える旨みを十分に引き出す可能性のある日本酒の姿といってよいでしょう。
蔵や醸造法などの違いによる個性も強く出てきます。
だから、一般的に「お酒がうまい!」といえるのは純米酒の方が多いと思います。
(カイワリ)そこまで聞くと純米酒の方に軍配が上がるようにも聞こえるんだけど…。
(ヤマトシジミ)いえ、決してそうではありません。
その旨み、そして味の濃厚さが災いすることもあるのです。
特に最近は無濾過(濾過は活性炭により雑味、腐敗成分を取り去る作業。それによって旨みも除去され抑さえられる)が流行しており、また本生のフレッシュさ主張の流行もあります。
これ自体、日本酒のおいしさ、楽しさを増しているのは間違いないのですが、料理との相性は難しくなってきているのです。
(カイワリ)簡単にいうとどういうことなの?
(ヤマトシジミ)日本酒の方が勝っちゃうということなんです。
ボクのように日本酒の方が好き、特にここ一番のお酒の時には料理は脇役でよい…という考え方ならそれでいいと思うんですが、本当に繊細な料理に対して、そんな日本酒でいいのか?ということを一方で感じますね。
というのも本来の日本酒は「食中酒」が主な役割のハズ。
それならば料理に対して脇役にまわる、あるいは対等な位置でとどまるというのが本来の立ち位置だと思うんですよね。
(カイワリ)おいしいもの同士のぶつけ合いでいいんじゃないの?
(ヤマトシジミ)極端な言い方をすれば、繊細な料理の時にジュースを飲みますか?といふうに考えてみればいいと思います。
料理の味がわかりにくくなるでしょ。
実際、私の知り合いのおいしい物好きの人は大抵がちょっと抑えめな味のお酒の方が結局は使いやすいと言ってるんですよ。
(カイワリ)なるほどね。それじゃどうすればいいの?
(ヤマトシジミ)そこで登場するのが本醸造酒なんです。
アルコールの添加によって相応に水の量も増え、旨みが抑えられます。
場合によっては最小限の濾過を効かせて雑味を取り去ります。
こうした方がたとえば白身魚の刺身などには相性がよい場合が多いんです。
(カイワリ)こうして聞くと本醸造酒の方がメリットが多いような気がしてきたわ。
(ヤマトシジミ)そうでもないんですよ。
加工食品のところでも述べたとおり、無添加である純米酒でお酒の、お米の味を追求したお酒で、優れたものであれば本当においしいものがあります。ボクなんか、何度涙を流すほど感動したことか。
そういうお酒は純米酒の方が多いような気がします。
でも純米酒だろうが、本醸造酒だろうが、きちんと作り上げたものは心揺り動かされるぐらいおいしいんですよ。
(カイワリ)結局、日本酒においてアルコールという添加物はどうなの?
(ヤマトシジミ)どういうお酒にしたいのか、その狙い、目的に応じてきちんと入れたものはあり、という結論にしたいですね。
いいものはいいということで。
ちょっと厳しい言い方をすると、「純米酒」と表示していても本当にそうなのか味的に疑わしいお酒があるのも事実です。
廃糖蜜のアルコールを使っているかどうかまで利き酒できる自信はないけれども、何か違うな?というのを感じるものもあります。
一方で本当に醸造アルコールを添加しているの?といいたくなるような効かせ方の本醸造酒、吟醸酒もあります。
このあたりが嗅ぎわけできて、それでもなお純米酒じゃなきゃダメ、という人にまで本醸造酒を薦める気はないけれども、ほとんどの人にはこう言いたいんです。
ぜひTPOにあわせて両者を使い分け、味わってみてよ、と。
そういう点では、最近の「純米酒信仰」みたいな考え方には賛同できない気がします。
それに、蔵によっては本醸造酒の方が向いている蔵もあるし、純米酒には純米酒の、本醸造酒には本醸造酒の技術というものもあるので、どちらかに偏重するというのは伝統技術としてももったいないと思うんです。
(カイワリ)これだけ語れば十分でしょ。このあたりにするわよ。
(ヤマトシジミ)はいはい。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
またお越しください。

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